「まだ意地を張りたいのか?」
自分の思い通りに判断、決断し、帰ってくるのは大きな不満と恨みだけ!
自分の考えで凝り固まった意地っ張りな私を我慢してくださる神。私が変わるまであきらめることを知らない神の熱い心に出会う! 反逆と不従順のこの時代を御言葉で振り向かせるキム・ナムグク牧師のヨナ書講解。
「聖性」こそ「父」の命、真意。
「現場の神学=Positive Theology」に挑戦し、実践を試み続け、思索する川上直哉牧師による、P.T.フォーサイスの名説教「聖なる父」(1896年)の全訳。2020年のコロナ・パンデミックに遭遇した現代日本の苦悩を透過して語りかけてくるものを聴く。論考「コロナの時代の死と葬儀」を併録。
聖書が教える「神のかたちを帯びる」ひとの理解に立って、心の深層にある問題の構図に迫る。聖書的カウンセリングの本質、霊的成熟の核心の考察は、みことばによる変容に啓明を与える。小グループでの学びにもより豊かな契機となる。
ナザレのイエスが語りかけ、福音書記者が描写した「神の王国」とは一体何か!?
19世紀以降一気に開花した「神の王国」に関する国内外の研究史や試論を広汎に取り上げ、イエスの福音宣教の中心的使信であった「神の王国」の本質を多角的なアプローチによって現代に解き明かす。キリスト者の生き方、社会における教会のありようを根底から刷新する、「目からウロコ」の聖書学! 「舟の右側」連載に校訂を加え、「コラム」を掲載して、単行本化。
神学の現在は? 宣教の未来は?
故ロバート・リー博士によって1989年に設立され、日本における福音宣教が持つ今日的課題に真摯に取り組んできた東京ミッション研究所(Tokyo Mission Research Institute=TMRI)。その設立30周年を記念した、弟子たちによる気鋭の論文集。
神話の舞台からロゴスの世界へ。その豊潤な道行きを追跡する!
わたしたちが歴史を研究するのは、ほかならぬ現代を知るために過去にさかのぼるのであって、現在の問題が歴史においてどのように起こってきたかと、問題史的に考察するためである。私たちが過去の文化的遺産を摂取して、今日に生きる意義を見いだし、文化的価値を創造的に発展させて行くに際し、歴史研究は不可欠の仕事となっている。(本書より)
【目次】
序論 キリスト教思想史は人間学の宝庫である――「キリスト教思想史の諸時代」への序として
1 ヨーロッパ思想の三つの柱
「談話室」源泉志向ad fontesの意味
2 ギリシアにおける哲学の起源
「談話室」タレスと婦人たち
3 神話からロゴスの世界へ
「談話室」プラトンは観念論者か
4 ダイモーン信仰とその批判
「談話室」ホメロス物語の守護神
5 聖書の神秘思想
「談話室」キリスト神秘主義
6 神の属性としての聖性
「談話室」「わたしはありてあるものである」の解釈
7 霊性の物語的表出
「談話室」オイディプスとイエス
8 聖書における神とサタン
「談話室」アウグスティヌスとミルトンの『失楽園』
9 キリスト教教父の神秘思想
「談話室」受肉の神学と神化の思想
10 キリスト教と古典文化
神と真っ向正面から向きあい、生き抜いていった人々の記録・その聖書に描かれたゆたかな人生を生きる指針にしたのは?
信仰者は皆、ヤコブと同じ面を持っています。「どうしてヤコブなのか」という問いを、「どうして私なのか」という問いに変えてみてはどうでしょうか。人格的な欠点、行動における過ち、生涯の数々の汚点・・・・・・それらを考えると、神の祝福にあずかるにふさわしくないと思えてきます。「なぜ自分のような者が」と思えてくるのです。しかし、神さまはそのような私たちを、あわれみと恵みにより、選んでくださった、そうとしか言えない・・・・・・神の祝福にはそのような一面があります。(本文より)
素晴らしい説教集の決定版!
沖縄から九州、大阪(神戸・京都・奈良)、東北、森林公園(東京)、北海道と6地区10個所で語られた主メッセージを凝縮掲載!
聖書学の常識は、信仰のヒジョウシキ。この逆説と乖離の荒海を、いざ航海。
「青野先生はキリスト教の『常識』にいつも挑戦されているのですね」といった類のことを言われることがあります。しかし私が挑戦しているのはむしろ、少しでも新約聖書学の「常識」を日常のキリスト教信仰の中に取り入れたい、ということです。しかしそれらふたつの「常識」は、多くの場合、厳しく相対立していますので、ことはやっかいです。
その中心思想を「不安な心」として捉え、「心の哲学」から「霊性」へと展開された軌跡をたどる。
交通事故に遭い、高次脳機能障害となった女性が「生きているだけで十分」との母の言葉を支えに起き上がり、独特のやさしさと癒しの響きのこもった読み聞かせの働きに新たな道を見出していく・・・・・・その道のりが一冊の絵本に。
荒れ地に花を咲かせるために
すでに蒔かれた種も、今、ここで蒔かれようとしている種も、これから蒔かれる種もある。大切なことを蒔かれたすべての種がともに成長し、愛の花を咲かせることである。
この本の内容は、個人的なことになるが私がガンの告知を受けてから、「生きること、愛すること」について考えてきたことである。その間に、名古屋や静岡で講演を行う機会を与えられ、そのときの原稿に手を加え、さらに序章を付けた。私にとって生きるとは、「闘病生活を続ける」ことだけでなく、「荒れ地となった大地で、それぞれが自己を取り戻し、愛し合いながらともに生きる」ことでもある。共感しつつ読んでいただければさいわいである。〔著者〕