イエスが、使徒たちが、現代に語る。
『旧約聖書の世界』に続く新約編。福音書、使徒行伝、手紙、黙示録の4部からなる新約聖書を、平易かつコンパクトに、全体像がわかるよう配慮して解説。混迷の時代、世界中の人々に語りかけてきた愛と真理の言葉に聴く。
洗礼そのものは救いをもたらさない。まして教会加入の儀式などではない。
洗礼を受ければクリスチャンとされ、教会の陪餐会員となる。洗礼をこのような権利と義務へ制度化してきた教会のあり方を聖書原典を分析・解釈、精読することによって批判・検討し、「水で始まり、火で終わる」洗礼を受けたナザレ人イエスを遡行することで洗礼本来の意味に迫る「洗礼論」!
盟友ルターとの対決で知られる稀代の人文主義者。その計り知れない知性の泉を、主著を足がかりに広汎に探る。
エラスムスの神学に基礎にある信仰について述べておきたい。エラスムスの神学の基礎には『エンキリディオン』や『痴愚神礼讃』で説かれた根本思想があって、「目に見えるものから見えないものへ」という超越の思想として述べられた。彼の神学の基礎には、わたしたちの目を地上的事物の諸価値から天上的なものに向けさせていく信仰の超越が説かれている。ここには人間的な価値を根源的に変革する信仰の働きが認められる。(本文より)
「やらなくちゃ」「読まなくては」「今回こそ!」では続かない! 秘訣は何だろう?!
“痛読”からの大転換、役立つヒントが満載。これでだめなら諦めましょう。聖書通読の手引きである『3分間のグッドニュース』シリーズの著者が贈る、そのまた手引き書、全篇書き下ろしで新登場!
戦火の中で独り生き残り、燃えさしのマッチのように救われたのは何故か?
「ベツレヘムの星」と呼ばれた一枚のカードを基点に、戦災孤児、樫村和夫の歩みとキリスト教との関わりが丁寧な筆致で描かれ、戦後日本のキリスト教史が市井の一個人の視点から語られた書!
星に導かれて、 人生を旅したくなる!
現代人からはるかに失われたものの価値を改めて想起させる7 つのクリスマス小作品。 聴きなれたクリスマスが、生き生きと彩色され、あらたに甦ってきます。 日本人の正教会司祭と聖像(イコン)画家による、ちいさな光輝に包まれたもうひとつの聖降誕物語。
曙の翼を駆って私を旅する。
“ 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、そこにもあなたはいまし、わたしを導き、とらえる……” ダビデの賛歌を自身の生涯の子守歌に、かつての故郷、宮城県米川村に受け継がれ、自身の中にも流れ込むことになったキリスト教信仰の源流を訪ねる旅。あふれ出るままに回想された個人史であるとともに、日本のキリスト教史の貴重な一証言でもある。
私の中に静かに、時に激しく湧き上がるものがあった。出会ってきた事々や思い、〝不思議〟を記憶の限りを尽くして心に広げ、手繰り寄せては広げ景色を浮かべ、出会った人々に思いを馳せる。心に秘めた〝不思議〟に一心になっているという年月。ふと思う、このことは心を耕して水を注ぎ入れてきたということだったのかもしれない。もしかしたら心に豊かな土壌をつくり上げるという時間だったのかもしれない。(プロローグより)
「生きよ」と繰り返し命じる 神の声に聞く人の幸い。
神の命令に聞き従うのは「不自由で戒律的な生き方を強要されるのでは」という先入観や誤解を優しく親切に解きほぐし、神に聴く人生の祝福に目を開かせてくれる「聞く!」シリーズ第 2 弾。
非暴力と平和主義を掲げるメノナイトの本書著者レデラック氏が敵意と対立の痛みから、新たな関係へと創造的に変革されていく、驚きの道案内!!
対立(コンフリクト)を、解決すべき害悪と考える常識を破って、そのただ中で平和をつくり出す具体的道筋を見事にえがき出す衝撃の名著! 世界各地における紛争現場で体を張った平和活動に従事し、アメリカの大学で平和構築の理念形成と平和活動家の育成に情熱を傾けるレデラック博士の希望の書。
ゴーギャンが畢生の大作に込めた究極の「問い」を《神のかたち》のスキーマに基づいて説き明かす。
神の啓示である聖書に基づく神学的人間論こそ、世界と人に関する「なぜ?」に明解に答えてくれる――。この信頼と確信のもとに「《神のかたち》とは何か」というライフワークに挑んだ、渾身の書。
【主な目次】
第1章 人の原理である《神のかたち》
第2章 《神のかたち》に創造された人
第3章 罪による《神のかたち》の毀損
第4章 御子の受肉と十字架と復活
第5章 キリストの救い:《神のかたち》の回復
第6章 《神のかたち》を生きる
第7章 《神のかたち》完成への聖霊の働き
第8章 神の国と《神のかたち》の完成
おわりに
研究ノート1:「神の義」と「キリストの信」
研究ノート2:「聖」と「霊」と「命」
研究ノート3:「贖い」と「宥め・償い」
聖句索引/あとがき
ルターと親鸞はなぜ、かくも似ているのか。
キリスト者が禅に共感するのはなぜか。
「初めに神が・・・・・・」で幕を開ける聖書。唯一信仰に生きるキリスト教と、そもそも神を定立しないところから人間を語り始める仏教との間に対話は存在するのか。多くのキリスト者を悩ませてきたこの難題に「霊性」という観点から相互理解と交流の可能性を探った渾身の書。
はじめにーーキリスト教徒仏教との霊性の比較は可能か
第1章 東西の宗教における霊性の展開
第2章 東西の霊性における二類型
第3章 キリスト教における霊性の特質
第4章 日本仏教における霊性思想の創造
第5章 キリシタンと近代日本のキリスト教霊性思想
第6章 日本の霊性思想の比較考察
第8章 霊性の共通性と相違性
あとがき
参考文献
善人は善そのもの。惜しげもなく善を行う。同時に悪いこともする。彼らもまた人間だから。
数千年にわたる苦難と流浪の中で編み出され、涵養されてきたユダヤ人の生きる叡智を、聖書、タルムードをはじめ、古今東西の書物や人々の生き様を抱き込みながら縦横無尽に解き明かす。現代アメリカのラビにして作家クシュナーによる珠玉の人生指南!
第1章 二つの声
第2章 負けるが勝ち
第3章 どんな人間になりたいか
第4章 仕返しの正義
第5章 シャローム―インテグリティを求めて
第6章 家族と友人―愛することで人生が決まる
第7章 脇役が最高の主役
第8章 なぜ私たちは世の中にとってなくてはならない存在なのか
9月11日以降、世界はどのように変わったか