気がついたら老境に入っていた。老人にはすることがない、体力がない、楽しみがない、死が近い。著者キケロは、この四つの悲観的通念を吹き飛ばし、老年の幸福を実例をあげて論証する。そこでは社会問題としての実践的な知恵が展開される。老年もなかなか捨てたものではないと思わせ、多くのひとに力を与えつづけながら二〇〇〇年読みつがれてきた老年のための幸福論。訳者・八木誠一による「私の老年論」を付す。
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経済中心と言語化=情報化により、人間性は軽視され、「生」を見失った現代社会。宗教は、伝統の拘束から脱却し、現代に通じる言葉で、情報化されえない宗教的真実を語るべき時である。現代人からの宗教批判、宗教からの現代批判を通して、「神は死んだ」現代に、宗教回復の道を示す最新講義。
*******情報化された現代では、情報化されえない宗教的真実は無視されてしまう。それは人間性の無視・無理解に通じるものだ。いまは仏教もキリスト教も協力して確認可能な宗教的真実を現代に通じる言葉で語るべき時である。本書はこの方向へのささやかな一提言にすぎないが、この方向が本書の求める「宗教の行方」にほかならない。(「序にかえて」より)
■目次■序にかえて――宗教の行方ということ第一講 序説――問題設定と講義の内容第二講 生の表層・中層・深層第三講 用語の説明第四講 社会・コミュニケーション・エゴとニヒル第五講 言語と情報――表層批判と言語批判第六講 言語批判と宗教批判・近代批判第七講 直接経験第八講 統合ということ第九講 超越第十講 統合論とキリスト教第十一講 場所論から見た仏教第十二講 まとめ――統合作用の場と創造的空あとがき
理性と言語による現実把握の限界をどう超えるか。ニーチェの生の哲学から実存主義、現象学、フロイト、ウィトゲンシュタイン、構造主義、さらには京都学派の哲学までを総覧し、それらを超えて現代人のための宗教に至る道筋を鮮やかに指し示す。
文庫化にあたり、著者による「補論 初版以後の展開」を付す。
キリスト教と仏教のはざまで、生と信の根源について独自の思索を展開してきた宗教哲学者による渾身の遺言。
私たちの生の最深部にあって、人を生かす力、創造的空。それは、世界と人間を成り立たせる神のはたらきの場であり、仏教で言われる「無心」の内容である。また、生と死を大きく包み、無意味への問いから解放し、ゆだねて生きることの豊かさを教える。
「瞑想」という方法に、豊饒な空へと至る具体的な道筋を描き出し、世界と生命と精神とを貫く「統合」という作用に、信の根拠を指し示す。
【目次】
Ⅰ 宗教と現代
第一章 宗教と「単なる自我」
第二章 「単なる自我」の問題性
Ⅱ 統合論
第三章 統合論綱要
第四章 統合作用・統合体・統合心
Ⅲ 瞑想の行方
第五章 瞑想と現代
第六章 瞑想・信・統合
終 章 直接経験──仏教とキリスト教の一致と差異
宗教哲学者と、孫弟子である声楽家とが、足かけ27年にわたって書簡を交わしました。
人生航路の終盤にさしかかり、最後の帰港地を意識しつつの本音の対話です。
プロローグ 白い道をゆく
序章 長い夜と望郷──還っていくところとは
第1章 「ふるさと」の原風景
第2章 成熟の風景──捨てる季節の自我と他者
第3章 仮面と語りえぬもの
第4章 老いに寄り添って
第5章 死者の残したもの
終章 回心と静寂──神の息を呼吸する
エピローグ 還りの道に立って
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世界の思想家の生涯とその思想を、当時の社会的背景に触れながら、立体的に解明した思想の入門書シリーズ。
本巻は、ただの人の生き方をもっとも真実に生き、示した人物、イエスを取り上げる。
1 イエスの時代を中心とするユダヤ民族の歴史(イエス当時のパレスチナ/ユダヤ民族の歴史 ほか)
2 研究史・研究の方法(研究の歴史/「イエス」叙述の方法──どこにピントを合わせるか ほか)
3 イエスの生涯と思想(イエスの生い立ち/イエスの思想)
4 イエスの死・復活と原始キリスト教の成立(史的イエスから宣教のキリストへ)
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