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世界各地の抵抗の営みを巨大な射程で見つめ、「3.11」後を生き抜く民衆の力を析出する。気鋭の歴史学者 待望の単著!
わたしたちは、日々、「黙示」を生きている。新約聖書の最終テキスト『ヨハネの黙示録』が世界の終末を予言して以来、「黙示」は人類破滅の啓示という意味を持つようになった。聖書の災いを彷彿させる地震と津波にくわえ、怨霊のように生態系を蝕む原発由来の放射能汚染をもたらした2011年東日本大震災は、まさにそのような「黙示的」出来事だった。現在判明しているだけで16000人以上の死者、2500人以上の行方不明者、最大時47万人以上の避難者/難民を生んだ大震災を歴史的に位置づけようとして、それを第2次世界大戦の戦禍になぞらえた人たちがいた。4半世紀前のチェルノブイリ原子力発電所事故を想起する者もいた。第2次大戦は世界資本主義の覇権をめぐる争いであり、チェルノブイリ原発事故はソ連の国家社会主義体制の破滅を予示した。では、「3・11」はどのような争いを顕在化し、なにを予示しているのか?
当時アメリカ中西部に住んでいたわたしは震災の3か月後に日本を訪れ、以来、この問いをさまざまな新しい出会いのなかで考え続けてきた。本書はそうした思考と対話の記録であり、黙示の日常を生きることの意味を、資本主義分析や歴史社会学的想像力によって問う試みである。近年、核産業を含む資本主義文明が人類の黙示的終末を加速させている状況を科学的に認識する枠組みとして、「人新世(Anthropocene)」という地質学的時代区分が普及しつつある。その語源である「アントロセン(Anthrocene)」をアメリカの科学・環境ジャーナリスト、アンドリュー・レヴキンが『地球温暖化――その予測を理解する』の中で初めて用いたのは一九九二年だ。同年にトム・ウェイツは地球の生態的終末を黙示的イメージで歌った――「ついに裁きの日が来たぜ/ほれ、その充血したデカ目に泥を塗って乾杯/火かき棒が炉につっこまれ、イナゴの大群が空を覆う//そして地球は悲鳴をあげながら死んだ、おれが横になっておまえの夢を見ている間に」(「地球の断末魔」)。環境の劇的変化による大量絶滅を予測する現代科学の言葉が、世界の終わりを予示する古代宗教のメタファーと交錯する。
世界の終焉を神の意志または科学的必然としてあらわす「黙示」に圧倒され、無力な存在になりかねない時代をわたしたちは生きている。死に行くなかでも叫び声をふり絞りながら生き延びるには、資本主義の終わりを現実的に早める民衆の力や社会システムの矛盾を解明しなければならない。本書は、そのために必要な歴史的理性の「練習曲」集である。
「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(『ヨハネの黙示録』21章4節)。
第1部 原子力と資本主義(ミッドナイト・ノーツへの悲歌?;『奇妙な勝利』から、『破局』の永久革命まで―ミッドナイト・ノーツ・コレクティヴの一九七九年原発批判と新しい階級闘争;カタストロフィを超える民衆―放射能計測運動を世界の民衆運動に接続する(聞き手:池上善彦);三・一一と負債資本主義時代における黙示録と踊る死者のコモンズ;プロメテウスの末裔―放射能という名の本源的蓄積と失楽園の史的記憶;“燃える男”、あるいは“船本洲治記念日”のために;「人よ、神をお許しください、自分が何をしているのか知らないのです」―一九九五年と世界の終わり)
第2部 対話(ぶざまなボクサーの叛乱(廣瀬純『蜂起とともに愛がはじまる』書評);「階級構成」とはなにか(廣瀬純との対談);全世界のシーシュポスよ、まずは座り込め(栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい』書評);諸君、狂い給え!―希望なんていらねぇよ(栗原康との対談);いつも心に革命を―われわれは「未開人」である(森元斎・栗原康との鼎談))
私語―エピローグにかえて