"内村鑑三研究 第57号" の最低購入数は 1 です.
「信仰は条件闘争ではない。私は全国のキリスト者の声を聞くうちに、贖罪信仰がいかに信者を追いつめてきたかを知った。そんな中、荒井克浩先生の信仰の変化は暗闇に指す光だった。信じれば救われるのではなく、すでに救われている。それが信仰の出発点なのだ。」
最相葉月氏推薦
「荒井氏は謙虚にも、自らがその中へと置かれている『無教会』の『変革』に焦点を絞った著書名を選択したが、言うまでもなくこの問題の射程は、より広く、より遠くにまで、すなわちキリスト教の『正統信仰』そのものの『変革』にまで及んでいる。」
青野太潮氏推薦
一人の無教会伝道者として、内村の信じた贖罪信仰をいま、問い直す――無力な「十字架につけられたままのキリスト」に集中することから生まれた、新しい信仰の展望を描き出す書。
"無教会の変革 贖罪信仰から信仰義認へ、信仰義認から義認信仰へ" の最低購入数は 1 です.
"平信徒が読み解く『ロマ書』 矢内原忠雄、藤井武および内村鑑三を通して" の最低購入数は 1 です.
克明な実証による新たな内村像の追求!
芥川龍之介研究で定評のある著者の真骨頂である、克明な文献調査と足を使った事実調査が光る労作。内村の近代日本への影響は、多くの人々によって語られ、書物にもなっているが、本書では新しい目でその生涯をたどり、新たな光を当てる。著者は本書の校正中に急逝したため遺作となった。都留文科大学名誉教授、日本キリスト教会浦和教会長老を務めた。
"内村鑑三 闘いの軌跡" の最低購入数は 1 です.
"内村鑑三研究 第56号" の最低購入数は 1 です.
"内村鑑三研究43" の最低購入数は 1 です.
"内村鑑三研究 第55号" の最低購入数は 1 です.
人間とは何者か――現在に求められている宗教性を探る
人間存在の本質に迫ってその宗教性を明らかにすると共に、内村鑑三の感化を受けて鮮やかな生の軌跡を描いた三人の先達、留岡幸助、井口喜源次、黒崎幸吉の生涯をたどる。
"内村鑑三研究 第54号" の最低購入数は 1 です.
愛娘ルツの死を通じて揺るぎない再臨信仰にたどり着いた内村鑑三。『聖書之研究』誌上に内村が展開した夥しい聖書講解を、今新たに、広大無辺な神の言の宇宙――旧新約聖書――の中に繙く。涙の谿を歩む人間に、未来へと、一条の希望のありかを示す信仰的批評。
「信仰」はいかにして得られるのか?内村鑑三と清澤満之は、近代という人間中心主義が涵養されつつあった時代に信仰を求めた。本書は積極的・自覚的に自らの信仰を選択した二人を通して、「宗教の近代化」を考察する。
第1章 内村鑑三(近代的自我の形成;近代日本人としての苦悩;近代社会との対決 ほか)第2章 清沢満之(近代的自我の形成;近代人として;自己との対決と信仰の選択 ほか)第3章 両者における宗教の近代化(内面的近代化;実践的近代化の諸相)
"内村鑑三研究 第53号" の最低購入数は 1 です.
[論文]
南原繁の「日本的キリスト教』構想 村松晋
戦争の時代における無教会運動――塚本虎二と矢内原忠雄 黒川知文
無教会における「天皇制」観の展開――象徴天皇の「代替わり」に考える 柳生圀近
[書評]
斎藤宗次郎の『聴講五年』にふれて 山折哲雄
梁賢惠『内村鑑三――神の後ろに隠れなかったクリスチャン』 崔元碩
川中子義勝『悲哀の人 矢内原忠雄――没後五十年を経て改めて読み直す』、赤江達也『矢内原忠雄――戦争と知識人の使命』 岩野祐介
[哀悼]
田村光三兄哀悼 大山綱夫
"内村鑑三研究 第52号" の最低購入数は 1 です.
戦争と震災。この二つの危機に対し、内村はどう臨んだか。聖書学の視点からその聖書読解と現実との関係、現代的射程を問う畢生の書。
日本が軍国主義に向かう時代、ナショナリズムの危機を聖書から読み解き、近代日本の思想界にインパクトを与えた不朽の名著が最新の日本語訳の聖書でよみがえる。
下巻は8章から16章まで
「内村鑑三とその周辺」「無教会と平信徒」など、広い意味での無教会と関わる文章を集める。
【目次】
第1部 内村鑑三とその周辺
第2部 無教会と平信徒
第3部 辺境のめぐみ
第4部 世田谷の森で
第5部 先達の跡を
"【取り寄せ】内村鑑三の新たなる宗教改革8" の最低購入数は 1 です.
〔没後50年記念出版〕
内村鑑三の最も忠実な弟子の一人といわれ、内村の死に至るまで終生尽くした斎藤宗次郎(1877-1968)は、1926年から1930年まで五年間にわたり、内村の集会の聴講記録を遺した。
本書は、3冊に分けて綴じられたまま、これまでほとんど日の目を見ることがなかった斎藤の自筆原稿を復刻。
斎藤宗次郎没後50年を記念して出版する。
まえがき・・・・・・・・・・・・・田村眞生子
聴講五年・・・・・・・・・・・・・斎藤宗次郎
聴講五年 上
聴講五年 中
聴講五年 下
注・・・・・・・・・・・・・・・・・岩野祐介
「聴講五年」の注について・・・・・・岩野祐介
参考文献・・・・・・・・・児玉実英・岩野祐介
斎藤宗次郎略年譜・・・・・・・・・・児玉実英
あとがき・・・・・・・・・・・・・・児玉実英
内村鑑三における「楽園の回復」再考──不敬事件後の危機と再生をめぐって 今高義也
「非戦主義者の戦死」精読と内村鑑三の「犠牲の精神」 矢田部千佳子
[講演]
内村鑑三の無教会信仰とその活動の教育史的意義 安彦忠彦
[所感]
内村鑑三と天文学──明治・大正期の天文書籍の周辺 椚山義次
[書評・紹介]
柳生圀近『日本的プロテスタンティズムの政治思想──無教会における国家と宗教』 眞壁仁
柴田真希都『明治知識人としての内村鑑三──その批判精神と普遍主義の展開』 千葉眞
内村鑑三著、鈴木範久訳『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』 高木謙次
鈴木範久『日本キリスト教史──年表で読む』 高木謙次
"内村鑑三研究 第51号" の最低購入数は 1 です.
日本人クリスチャン知識人のシオニズム運動への共鳴は、グローバルな帝国主義の中でどのような意味をもったのか。占領された側の抵抗の歴史と重ね合わせながら考察する。
All for God──
「不敬事件」、妻と娘の死、非戦、無教会、再臨と、激しいうねりを生きたキリスト者、内村鑑三。
彼は、自らの弱さと不完全さを知るからこそ、どこまでも敬虔であろうとした。
同時代の人々を惹きつけ、『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』等の著作に今も響きつづけるその霊性を、深みにおいてとらえなおす。
[著者からのメッセージ]
内村鑑三の霊性は、「日本的キリスト教」と表現されることがある。
だが、この場合の「日本」が、東洋はもちろん、世界、歴史にさらには「宇宙」にむかって開かれている「日本」であることを見過ごしてはならない。
生涯を賭して彼は、「日本」と日本人がいかに万人に貢献できるか、その道を示そうとしたのである。