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説明
説教の言葉は、出来事の言葉という特質を備えるはずだが、それはどういうことか、ということである。
今神が語られたという聖霊経験とも呼び得るものがたまに起こるなどというのではないのである。
渡辺善太先生の説教を聴いていれば、それは常時のことであったのである。
当然、このような重層的論理を持つ説教の言葉は、聴き手のこころに届き、捉える。揺さぶる。
出来事が起こる。『聖書的説教とは?』は、その急所を語る。
これが必読の書がというのは、そういう意味である。
重層的になってこそ、説教がわかる説教になると渡辺先生が言うのは、そのことを意味するのである。
ただ単に知識が伝わるなどというようなことではないのである。 (巻頭エッセイより)