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「顔」の倫理の哲学者レヴィナスのもう一つの顔──その「ユダヤ性」はいかなるものだったか。その変遷と全体像を浮き彫りにする。
「ユダヤ人哲学者」ではなく「哲学をするユダヤ人」だと述べたレヴィナス。初期から『困難な自由』を経てタルムード講話にいたるユダヤ的テクスト群の読解を通し、レヴィナスにおける「ユダヤ性」の位置とその変容──「顔の倫理」の再検討、メシアニズム、イスラエル評価、バトラーやデリダらの批判──を、包括的に検討する。
【目次】
はじめに
第Ⅰ部 リトアニアからフランスへ――ユダヤ思想への目覚め
第1章 初期レヴィナスにおけるユダヤ性のありか
レヴィナスの出自
リトアニアのユダヤ教
一九三〇年代の転機――『平和と権利』をめぐって
「ユダヤ性」への目覚め
ユダヤ的な「宗教実践」
ユダヤ的捕虜体験
第2章 レヴィナスの教え
「アウシュヴィッツの後」
第二次世界大戦後のフランスにおけるユダヤ人教育
世界イスラエリット連盟
東方イスラエリット師範学校
シュシャーニ師の教え
第Ⅱ部 『困難な自由』の企て――ユダヤ性のゆらぎと変容
第1章 ユダヤ的「倫理」の生成――「倫理と精神」および「成年者の宗教」
レヴィナスにおける「宗教」と「倫理」
「暴力」と「言語」
ユダヤ教論考における「顔」の出現
第2章 シモーヌ・ヴェイユに抗するエマニュエル・レヴィナス
「根づき」と「根こぎ」
「ヨーロッパの不幸」
内面性か活動か
倫理としての赦し
神の無化と非活動的活動
第3章 「論争」から「開かれ」へ――『困難な自由』期のキリスト教理解の変容
キリスト教との「論争」
キリスト教への「開かれ」
フランツ・ローゼンツヴァイクの影響
第4章 「イスラエル」をめぐって
(A)教育的次元
「土地」と「言語」――イスラエル建国をめぐるブランショへの書簡
イスラエルを訪れて――「文化が欠けている」
教育的シオニズム?――「ユダヤ教育についての省察」
(B)神学政治論的次元
「イスラエルは宗教的であるか、さもなければ存在しないだろう」
(C)メシアニズム的次元
「イスラエル」と「メシアニズム」
「われわれの普遍主義」――五〇年代後半の「転回」
第Ⅲ部 タルムード講話とキリスト教への接近
レヴィナスの「タルムード講話」をどう読むか
「タルムード講話」にいたるまで
第1章 「仏語圏ユダヤ人知識人会議」とは何か
「仏語圏ユダヤ人知識人会議」の特徴
知識人会議の経緯と変遷
第2章 レヴィナスのタルムード講話
『タルムード四講話』
『神聖から聖潔へ』
『聖句の彼方』
『諸国民の時に』
『新タルムード講話』
タルムード講話は何を「翻訳」しているか
第3章 六〇年代以降のキリスト教への接近
「ユダヤ-キリスト教友好会」
第二ヴァチカンとゼーリスベルク会議
カステッリ・シンポジウム
レヴィナスのキリスト教思想への接近?
「神人?」におけるケノーシス論
「ユダヤ教とケノーシス」におけるケノーシス論
第Ⅳ部 困難な「共生」
第1章 ユダヤ的「ライシテ」?
ユダヤ教の源泉から引き出された「ライシテ」
「ノアの末裔」
「成年者の宗教」と「理性の宗教」――ヘルマン・コーエンの陰影
哲学著作における「ノアの末裔」
第2章 ポスト・レヴィナシアンのレヴィナス批判
ベニー・レヴィのレヴィナス批判
岐路としての「共生」――メンデルスゾーンについて
レヴィナス以降の「フランス・ユダヤ」の変動
第3章 バトラーのレヴィナス論をめぐって
レヴィナスを読むバトラー
バトラーのレヴィナス論のいくつかの問題
「聖なる歴史にとっては異質な、アフリカ・アジアの低開発国の人々」
レヴィナスにおける「非ユダヤ人との共棲のユダヤ的価値」
補論――忘れられていたノアの子供(シモーヌ・ヴェイユふたたび)
第4章 デリダとレヴィナス
「シナイ以前のトーラーの承認」
「国家において国家を超えて」
「最後のユダヤ人」
アブラハム的三角形
聞きまちがえられた「我ここに」
しぶしぶ共に生きること
おわりに
あとがき
注
参考文献
人名索引
事項索引